【本記事は極力ネタバレせず記述していますが、心配な方は映画鑑賞後にご覧ください。】
障害者施設の虐待疑惑を暴く新聞記者というだけでは終わらない、現在の香港の事情も垣間見えるという意味でも社会派な作品。とにかく出演者たちの演技が素晴らしく、一人ひとりの演技に注目して何度でも見たくなる作品だ。
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【スタッフ & キャスト】
2023年 香港 106分
監督:簡君晉(ローレンス・カン)
出演:余香凝(ジェニファー・ユー)、林保怡(ボウイ・ラム)、姜大衛(デビッド・チャン) 、梁雍婷(レイチェル・リョン)、龔慈恩(ミミ・コン)、梁仲恆(リャン・チョンホン)
【あらすじ】
新聞記者の凌曉琪【余香凝(ジェニファー・ユー)】は、入所者への虐待疑惑があるケアハウス「彩橋之家」に潜入取材を行い、彼らの悲惨な実態を目の当たりにした。義憤に駆られた凌曉琪は、同僚・亮【梁仲恆(リャン・チョンホン)】と共に裏付けも取り記事を公開する。だが、事件は想像もしなかった方向へと展開していく。実話の事件を元にしたストーリー。
【感想】
障害者施設の虐待疑惑を暴く新聞記者の物語、というだけでは終わらない、現在の香港の事情も垣間見えるという意味でも社会派作品であった。とにかく出演者たちの演技が素晴らしく、一人ひとりの演技に注目して何度でも見たくなる作品だ。
本作のような"真実を暴く新聞記者もの"というストーリーは今までにも多数あり、定番と言ってもいいジャンルではあるが、今作はその描写の残酷さと今の香港のマスコミへの視線の部分で、他の似たような映画とは違う後味を残している。
主人公はジャーナリストである余香凝(ジェニファー・ユー)演じる凌曉琪。正義感溢れるというよりは、どこか殺伐とした雰囲気を漂わせ、仕事に焦りも感じさせていて、この種のネタを扱う時にありがちなヒューマンな目線、人道的な怒りみたいなものも一応感じるものの、割と冒頭から仕事としての取材とか、ほんのりと"特ダネを取りたい"というような仕事の目線が伝わってくる。
だが、いざ調査取材の対象である施設=ケアハウスへと入っていくと、そういう事も忘れてしまうほど乱雑に散らかり騒々しい、もう怪しいとしか思えない環境に圧倒される。日も差さず薄暗い室内。清潔とは程遠く見えるベッド周り。いくつかの私物だけの粗末な共同部屋。そんな場所を知的障害を持つ人々が廊下で遊び回り、散らかしていく姿もまた、正直に言えばショッキングな光景に見えてしまう。
そして、そこの所長である林保怡(ボウイ・ラム)演じる章劍華の、凍りつくような存在感がまた圧倒的だ。視覚障害者であり、そして優しげな言葉づかい。一見して判断するのに困ってしまう要素が混然とした風体で、とにかく得体が知れない。もう内面に絶対何かを隠し持っているのがありありと伝わってくる、とんでもなく怪しげな人物。
姜大衛(デビッド・チャン)が演じる周健通だって、最初は凌曉琪が祖父として会いに行き、唯一仲良くしているのだが、次第にこの人も何だか良くわからない人物に見えてくる。飄々とした雰囲気で常識もありそうなのだが、やはりこの施設にいるのなら普通の施設にはいられない訳で、そもそもこの人物は本当に彼女の祖父なのかもわからなくなってくる。
他にも陳湛文(ピーター・チャン、チャン・チャームマン)や周漢寧(ヘニック・チョウ)の演じる入所者とか、とてもクセが強く、キャラも推し量れないような、怪しげな登場人物が数多く登場する。見ている途中で障害者の人々をそういった目線で見てしまっている事に気づき、これは良くないと思いつつも、やはりショッキングに見てしまい、また動揺させられてしまうのだ。
そんなカオスな状況の中での若い女性の入所者、黃小鈴役の梁雍婷(レイチェル・リョン)の演技が本当にすごい。「縁路はるばる(2022)」や「流水落花(2022)」などでの演技も印象にはあったが、今作での知的障害の演技はそれらとも違って圧倒的だ。そしてそこからの悲劇、その後と非常に難しい役なのに完全に役をモノにしているように見える、本当に素晴らしい演技だった。
ストーリーそのものは、悪事がまさに「白日の下」に晒され、加害者たちは断罪されるので観客は"一旦"安心できる。だが決してジャーナリズムの勝利とは描かれてない。なんとなれば主人公の凌曉琪=メディアがこの事件で得たものは何かすら、はっきりとは描かれていないかに見える。もちろんメディアは一見正しく、為すべき事をしたと言えるのだが、入所者たちにとっては決して正解であったとは言えない。
とはいえ、メディアについての描写は他の作品より"強い"し、本作がメディアと距離を置いているのも感じられる。凌曉琪も上司も、こうなる事を想定せずに記事を出したという"無邪気さ"もまた、一層罪深く見える。こういったストーリーには、2019年の香港民主化デモを経て、親中派とそれ以外に分かれたり弾圧を受けたりした現在の香港メディアに対する評価や信頼感って、もしかしてこういうものかな、などと思ったりもした。
一方で後半の展開は、最近の中国映画ならお約束と言ってもいい流れだ。张艺谋(チャン・イーモウ)監督「第二十条(2024)」や特殊詐欺を描いた「孤注一掷(2023)」など、最近の大ヒット作を例示するまでもなく連想してしまう、ある強権の発動が行われる。
これらは果たして皮肉なのか、意図的なのか、とにかくこの2つの点の描かれ方は、筆者にとってはやや"親中派"的に見えた。親中派的な考え方自体が良いかどうかの評価はともかく、物語の根幹をなす部分で今までの香港映画/香港社会とは少々違う価値観が表面化している、そんな意味でもしかしたらターニングポイントになったのかもしれない作品と感じた。
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【トピック】
◯ 2023年6月の上海国際映画祭でワールドプレミア。同年10月23日からの東京国際映画祭でも上映された後、11月2日から香港で一般公開。公開初週と「マーベルズ(2023)」に抜かれた2週目の翌週3週目に興収ランキング1位を獲得した。4周目からは同じく社会派の良作「年少日記(2023)」に1位の座を譲ることとなった。
興行収入は2140万香港ドル(41億円)。
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◯ 香港ではIIA指定(児童の鑑賞を勧めない)を受け、他国でも概ね15歳以上程度の指定を受けている。
◯ 本作は台湾金馬奨で5部門ノミネート、香港金像奨では主演男優・主演女優・助演女優の3部門受賞、16部門ノミネートとなった。
◯ 監督の簡君晉(ローレンス・カン、画像左)は、カナダ・バンクーバーで大学と映画について学び、香港に戻って制作を開始。 陳家樂(カルロス・チャン)主演の「當C遇上G7(2013)」が長編映画初監督作となる。
凌文龍(リン・マンロン)、陳漢娜(ハンナ・チャン)、岑珈其(カーキ・サム/シャム)、陳湛文(ピーター・チャン、チャン・チャームマン)などの今作にも出演しているような人気俳優たちによる起業ストーリーのViu TVドラマ「IT狗(2022)」を監督し、今作が長編映画2作目の監督作となる。
余香凝(ジェニファー・ユー)
◯ A1新聞、調査班の記者・凌曉琪。周健通を訪ねてケアハウス「彩橋之家」を訪問し、内情を知る。香港01の記者・龍婉琪がモデル。
◯ 本作で台湾金馬奨や香港金像獎で助演女優賞にノミネートされた。
廖子妤(フィッシュ・リュウ)と共演した「姉妹関係(2016)」で香港金像獎新人賞ノミネート。「縁路はるばる(2021)」でも台湾金馬奨や香港金像獎で助演女優賞にノミネートされた。「七人樂隊(2021)」や「四十四にして死屍死す(2023)」にも出演している。
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姜大衛(デビッド・チャン)
◯ 入所者である周健通。
◯ 本作で香港金像奨・助演男優賞を受賞。
九龍城塞で生まれ育ち、17歳の頃に兄の秦沛(ポール・チョン)に誘われて映画界入りする。邵氏(ショウ・ブラザース)と契約し、看板スターとして1970年代から数多くの映画に出演。「ヴェンジェンス/報仇(1970)」で映画賞も受賞する。80年代に入ると兄の秦沛(ポール・チョン)や親戚で今作プロデュースの監督・爾冬陞(イー・トンシン)らと監督業にも進出する。
主な作品は「新・片腕必殺剣(1971)」、「水滸伝(1972)」、「ブラッド・ブラザース 刺馬(1973)」、「少林寺列伝(1976)」など。本作の後に公開された春節映画「臨時劫案(2024)」にも特別出演している。
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梁雍婷(レイチェル・リョン)
◯ 知的障害を持つ入所者・黃小鈴。
◯ 「どこか霧の向こう(2017)」での猟奇的な少女を演じて香港金像奨新人賞ノミネート。
名匠陳木勝(ベニー・チャン)の遺作アクション「レイジング・ファイア(2021)」などにも出演しているが、特に香港新世代映画の良作「縁路はるばる(2022)」でさらに知られる事となる。以降「流水落花(2022)」、「燈火(ネオン)は消えず(2022)」、「正義迴廊(2022)」、「年少日記(2023)」 と立て続けに新世代の映画に出ていて、今後が注目の俳優だ。
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林保怡(ボウイ・ラム)
◯ ケアハウス「彩橋之家」の所長・章劍華。モデルとなった院長・張健華と同じく視覚障害者。
◯ 1985年にデビュー以来、主にドラマで数多くの人気作に出演。刑事ドラマ「鑑證實錄(1997)」や医療ドラマ「妙手仁心(1998)」といったTVBのヒット作で人気になる。大ヒット宮廷ドラマ「紫禁城 華の嵐(2004)」では演技賞も受賞した。
映画では、呉宇森(ジョン・ウー)監督「ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌(1992)」や林超賢(ダンテ・ラム)監督「スナイパー:(2009)」、古天樂(ルイス・クー)主演の「Sの嵐(2016)」など。昨年の大ヒット作「毒舌弁護人(2023)」にも出演している。
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龔慈恩(ミミ・コン)
◯ ケアハウス「彩橋之家」の介護士・何姑娘。
◯ 1980年代から活動しており、当初は目立たなかったがTVBドラマ「西遊記(1996)」で観音菩薩を演じて以来、知名度を獲得した。最近では中国の大ヒット古装劇ドラマ「月に咲く花の如く(2017)」にも出演している。
映画では「小さな園の大きな奇跡(2015)」や「ホワイト・バレット(2016)」、「七人樂隊(2021)」、「燈火(ネオン)は消えず(2022)」などに出演している。
梁仲恆(リャン・チョンホン)
◯ 凌曉琪の同僚であるA1新聞、調査班の記者・亮。
◯ 1994年生まれ。香港演芸学院を首席で卒業した後、俳優の道へと進む。甄子丹(ドニー・イェン)主演作「スーパーティーチャー 熱血格闘(2018)」や「ゼロからのヒーロー(2021)」などに出演している。
今作の後「臨時劫案(2024)」、「作詞家志望(2023)」、そして話題の高齢LGBT映画「從今以後(2024)」など、話題の出演作が続々公開され始めている。
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その他俳優
◯ 入所者であり介護や仕事もしている琛哥を演じたのは、陳湛文(ピーター・チャン、チャン・チャームマン)
◯ 周健通の同部屋の入所者・水哥役は胡楓(ウー・フォン)
◯ 自閉症を持つ入所者・明仔役の周漢寧(ヘニック・チョウ)
◯ A1新聞、調査班主任・Ericを朱栢謙(ジュー・パクヒム)
◯ 調査を担当する検察官・潘大狀役の朱栢康(ジュー・パクホン)
実話のストーリー
◯ 2015年に発生した劍橋護老院(Cambridge Nursing Home)と、2016年に発生したケアハウス「康橋之家」での性的虐待、不審死の事件という、2つの実際の事件を元に制作されている。
1. 大埔にあるケアハウス・劍橋護老院で、ベランダで全裸のまま入浴の順番が来るまで介護者を立たせていたという事件が発覚。さらに選挙で認知機能に障害のある入所者分の投票の偽造、入所者への虐待などの疑惑が発覚。
2. 新界は葵涌(クワイチョン)にあるケアハウス「康橋之家」で2014年、院長・張健華が当時21歳の女性入所者を院長室に連れ込み、性的虐待を行った疑惑がオンラインメディア・香港01によってスクープされた。さらに入所者への暴行、不適切な食事の提供などによる不審死が複数発覚。院長の張健華は介護福祉士資格の永久停止や訴訟となった。ちなみに張健華は、本作での設定と同じ視覚障害者である。