"FAKE"を見てきた。
佐村河内氏についてのドキュメンタリー映画。
数カ月前から様々な紹介で評判だったし、なんなら"ドキュメンタリーとは何か"という命題も揺さぶるという話も出ていたので、これは…と期待していた。
命題に関しては、作品そのものよりも、そこからの思考に依ってできあがるものなので、個人差が大きい話だとは思っていたが、実際の作品にはそこまでの強い意志は感じなかった。それよりも…
ドキュメンタリーとして見るか。
佐村河内物語として見るか。
今、改めてまとめようとすると、まとまらないし、むしろそれにこそ監督の意図があるのかとも思うけれど。一方で、それは一種の諦めじゃないか、とも思う。
この映画は監督のものなのか、佐村河内氏のものなのか、みたいな事で言えば、佐村河内氏こそが"ネタ元"で価値の源泉である筈だ。
そのネタを、この映画は自然な手ブレ、自然なアングル、猫や奥さんのフレームインで空気感を収めようとしている。そこに、むしろ違和感を感じる。
じゃあ、何なら違和感を感じないんだろう。
携帯カメラ的な? PV的な? 街歩き番組? どれからも演出からは逃れられない。
つまり僕は、この映画の"ドキュメンタリー演出"に違和感を感じているのだ。あざとい。
最近の僕たちは色んな動画を日々見続けて、実は様々なドキュメンタリーを大量に消費しているのかもしれない。ISの処刑動画、事件や事故の動画、フェイスブックで日々大量にシェアされてくるハプニング動画を虚々実々、「ほんまかいな」と思いつつ見る。そんな無自覚な僕らの前で、しかしこの製作者たちは果たして今もドキュメンタリーに希望を持っているのだろうか。
ナイーブである。
しかし、一方でこのように商品としてパッケージするには、これが一番だったのではとも思う。適度な距離で消費され、適度な盛り上がりを見せる(実際劇場は満員だった)。
ただ、個人的には記憶にも残らないんだろうな。。。