無名 - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks映画
【本記事は極力ネタバレせず記述していますが、心配な方は映画鑑賞後にご覧ください。】
非常に美しいビジュアルだが不穏な空気が充満する中、トニー・レオンと王一博(ワン・イーボー)の熱演を堪能する映画。簡単に理解できないが熱量がすごい。梁朝偉が「ラスト、コーション」以来の役の再演も見もの。
www.youtube.com 『无名』阵容预告片:梁朝伟/王一博/周迅/黄磊 谍战大片
www.youtube.com 映画『無名』予告編 2024年5月3日(金・祝)より全国順次公開
【スタッフ & キャスト】
2023年 中国 128分
監督: 程耳(チェン・アル)
出演: 梁朝伟(梁朝偉、トニー・レオン)、王一博(ワン・イーボー)、周迅(ジョウ・シュン)、黄磊(ホアン・レイ)、森博之、大鹏(董成鹏、ダーポン)、王传君(エリック・ワン / ワン・チュエンジュン)
【あらすじ】
真珠湾攻撃を契機として太平洋戦争が勃発、中国大陸では蔣介石が率いる中華民国(中国)が日本との和平交渉に決裂した結果、ライバル汪兆銘によって日本の傀儡政権であるもう一つの中華民国が樹立されるまでに至った、1941(昭和16)年末の中国、上海。
汪兆銘政権で働く何(フー)【トニー・レオン】や叶(イエ)【王一博(ワン・イーボー)】、政権へ協力する日本帝国陸軍の渡辺【森博之】らは、反抗を画策する国民党や中国共産党のメンバー達との情報戦や裏切り、暗殺など様々な謀略を図り、大陸を巡る闘いを繰り広げる。
【感想】
大変美しいビジュアル、張り詰めた緊張感、素晴らしい演技が2時間続く、スリルに満ちた歴史劇だ。一度見ただけでは理解しきれず、見終わった後もあれこれと考え続けることになる。
とにかく印象的なのは、それぞれどれも大変美しいシーンの数々だ。部屋の設えや小物、衣装なども選びぬかれ整えられており、配置なども計算され尽くしてあるようだ。暗い地下室のライティング、事務所に入る夕暮れの陽光など、光の具合も素晴らしい。映画全体の調色もほのかに冷たい印象が感じられて、常に緊張感が漂っているように見える。リアリティから逸脱している部分もあるようだが、それよりも画面の美しさを最優先に狙っているのがビシビシと伝わってくる。
俳優たちの演技も素晴らしく印象的だが、感情はできるだけ抑えられていて、最初は彼らの内面がうっすらとしか伝わってこないように感じる。
そもそもこの映画は、侵略してきた日本に協力する汪兆銘政権の工作員たちの話だ。ここだけを聞くと、主演のトニー・レオンはまだしも、王一博(ワン・イーボー)も日本への協力者を演じるストーリーなのかと驚く。トニー・レオンは「ラスト、コーション(2007)」でも既に本作とほぼ同じ役を演じているが、王一博については、中国の人ならちょっと流しては済ませられないかもしれない。
だが本作はそんなシンプルなストーリーではない。登場人物のそれぞれが謀略を図り、裏切りを警戒し、途中から誰が本当のことを言っているのかもわからない緊迫感が続く。主役の二人も、立場は似ているのに互いに関わる事もなく、本当は何を考えているのか描かれることもない。主人公でありながら、二人ともが悪人なのか善人なのかもわからないまま話が進んでいく。
程耳(チェン・アル)監督の前作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海(2016)」とほぼ同じような内容で、連作と言える。上海が舞台で、時代もほぼ同じ1930年代後半から終戦まで、同じような無名の役柄が主役で、美しいビジュアルを中心とした語り口も似通っている。前作も葛优(グォ・ヨウ)と章子怡(チャン・ツィイー)、浅野忠信の演技が素晴らしかったが、マフィアの話であり、浅野忠信の役の異常性もあり、今作とは少しベクトルの違う「あの時代」のストーリーという感じだ。
今作、演技は圧倒的だ。わずかに見える表情の変化で雰囲気を一変させたり、5分以上はあるんじゃないかと思うような長くハードな香港式のアクション(トニー・レオン60歳!)もあるし、直接の描写は控えめだが相当に残酷なシーンも結構多い。
特に王一博(ワン・イーボー)の役は上海語と日本語を話す上、その日本語もセリフ量自体が多くしかも長尺なものばかりなのにも関わらず、流暢で、役柄を考えると本当に丁度よいアクセントで話していて驚異的ですらあった。彼の演じる叶先生(葉さん)は日本語を唯一話すなど最も親日的だし、実際に多くの中国人を拷問や殺害しているであろう立場で、かなり嫌われそうな役なのは想像しやすい。だが素晴らしい演技で役割を全うしていて、もしや彼自身にこの役を重ねて嫌ってしまう観客が発生するんじゃないかと心配するほどであった。たとえば許嫁とのトラブルを王传君(エリック・ワン / ワン・チュエンジュン)演じる王隊長に勘ぐられた時の、血も凍るような表情の変化など、印象的だ。
日本軍から派遣されている軍人を演じた森博之の役割も大きい。当時の状況を俯瞰的に、なんと日本語で、しかもかなりの時間を割いて説明する。彼自身が修正したのかはわからないがセリフもこなれていて、すっと自然に渡辺という役へのリアリティが立ち上ってきた。こんなに日本語のシーンが長い中国映画もちょっと見たことがない。
しかし一方で、郊外で自転車で進軍している日本兵たちの集団の演技は、皆どれもなかなかなものだった。滑舌もセリフ自体も悪くてすべてが嘘くさい。ここに登場する日本人俳優らにだけ驚くほど技量差があるのはちょっと驚きだった。
だがそんな彼らのシーンが本編にも残っているのは、ある残虐なシーンがあるからだ。しかも史実として実際にあったであろう事は恐らく間違いない。そんな非道な戦時中の日本軍に加担するような事は、たとえそこにどれだけ正当性があっても、中国で理解を得るのはいつの時代でもかなり難しいだろう。なにせ本作の舞台となった汪兆銘政権の汪兆銘自身は、後に墓を掘り返された上で骨を原野に廃棄されているほどなのだ。主人公たちはどうしてこの政権に参加し、どうして同じ中国人の敵となるような事をしたのか。きっと相当な葛藤に苦しめられるだろう。だが彼らのそういった内面が描かれる事はない。主人公を含めて、感情をあらわにするシーンは驚くほど少ない。
そのかわり、映画では当時の不穏な空気が徐々に充満していく様子を、色んな形で描いていく。日本の言葉、日本の文化、軍国主義、謀略しなければ謀略される緊張感…それらがどんどん周囲に満ち溢れていく。中国人が自分の土地で生きていくことがもはや自然なことではなく、何かと引き換えにしなければならなくなっている事を、ディテールで語る。実際、登場する中国人で自然な生き方を選択できている人物は、ただ一人も出てこない。そして、終盤へと差し掛かるにつれ徐々に明かされていく真相が、より一層その思いを深くする。特に、日本語まで学び、最も深く日本軍に関与した王一博(ワン・イーボー)の演じる叶先生は、最も深く葛藤を抱えている存在だ。その後の日本の敗北を知る私たちは彼のその後を心配せずにはいられない。果たして彼は救われたのだろうか。
登場する中国人の役名は前作同様にすべて「先生」や「主任」または「小姐」で、匿名的なものにされている。歴史に名を残す人物は登場せず、「無名」の存在として時代の中で消えていった者たちだけが登場する物語として描かれている。
本作は春節に公開され、興収ランキングに入った事でヒット作の期待もされたが、実際に見てみるとヒットを狙う種類の映画ではないことがよくわかる。春節映画で期待されるようなすっきり見終われる作品では無いし、わかりやすさを狙っていない事は明白だ。
【トピック】
○ 本作は春節に併せて2023年1月22日に上映開始。初週の興収ランキングで3位を記録した。3月初週時点で興収9.2億元(180億円)を突破。
◯ 日本では2024年5月3日から公開開始予定。
◯ 本作は中国金像奨で監督賞、主演男優賞、編集賞の3部門受賞、8部門ノミネートと2番めに多くの賞とノミネートを獲得した作品となった。
2023年第36回中国金鶏奨(金鸡奖)の作品一覧 - daily diary
◯ 筆者は本作を2023年中国/香港映画の個人的ベスト映画に選出した。
○ 監督の程耳(チェン・アル)は孫紅雷(スン・ホンレイ)主演の犯罪もの映画「边境风云(2012)」で様々な賞を受賞。その次の作品「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海(2016)」では、葛优(グォ・ヨウ)、章子怡(チャン・ツィイー)、浅野忠信と錚々たる俳優陣が出演、金鶏奨最優秀監督賞にもノミネートされた。
本作で、前作以来の金鶏奨最優秀監督賞をついに受賞する事となった。
なお、本作の微博で、次作も「人魚」というタイトルで再度王一博(ワン・イーボー)主演で撮影するとアナウンスされた。
○ 「中国勝利三部作」の一作と言われることもあるが、これは中国の映画配給・製作大手、博納影業集団(ボナ・フィルム・グループ)によって制作された、いわゆる主旋律映画(中国&共産党の歴史を称える映画)の事で、本作と、刘伟强(劉偉強 アンドリュー・ラウ)監督の新型コロナを描いた「アウトブレイク(中国医生、2021)」、吴京(ウー・ジン)、易烊千玺(イー・ヤンチェンシー)らが主演の朝鮮戦争を題材にした大ヒット作「1950 鋼の第7中隊 长津湖(2021)」の3作を指す。公開時は上記「アウトブレイク」や「1921」など、多数の主旋律映画が公開された共産党結党100周年のタイミング(2021年7月)からずれたため、特に(献映)などと冠される事はなかった。
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○ 劇中でトニー・レオン演じる何主任が買い求めるミルフィーユ(ナポレオンパイ)は、上海にあるフランス菓子店、蔡嘉甜品のものだ。
○ 劇中で王一博(ワン・イーボー)の叶先生(イエ)らが食べる、何かが飛び跳ねているグロテスクな赤い汁物の料理は「醉虾」といい、日本では「酔っ払いエビ」などと呼ばれている。主に江蘇省、浙江省、上海付近の郷土料理で、活きた川エビを白酒や紹興酒に浸して香りをつけた後、更に香味をつけたもの。多くは劇中のものほど真っ赤な毒々しい色ではないが、豆腐乳という赤い調味料の汁を使う事も多い。上海の思い出の味という訳だが、川エビの生食は寄生虫などの危険性があるため、気軽に食べるのは勧められない。
醉虾的做法大全_醉虾的家常做法_怎么做好吃_图解做法与图片_专题_美食天下
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梁朝伟(梁朝偉、トニー・レオン)
○ 汪兆銘政権の政治保衛部、何主任(フー)。広州で日本軍による空爆で被災した経験がある。汪兆銘政権が成立してから参加した、言わば新参者である。
○ 今作で金鶏奨主演男優賞を受賞。これで梁朝伟(梁朝偉、トニー・レオン)は香港金像奨、台湾金馬奨と併せて3つの中華圏の大賞をすべて受賞した俳優となった。
演じたのは言わずとしれた名優トニー・レオン。「恋する惑星(1994)」、「ブエノスアイレス(1997)」などのウォン・カーウァイ作品群や、侯孝賢監督「悲情城市(1989)」、香港ノワールの代名詞「インファナル・アフェア(2002)」、汪兆銘政権の工作員を演じたヴェネツィア金獅子賞&金馬奨「ラスト、コーション(2007)」と、挙げるべき作品には枚挙にいとまがない。つまり、本作では「ラスト、コーション(2007)」と同じ役を再び演じている事になる。
王一博(ワン・イーボー)
○ 叶先生(葉さん、イエ)という役名。汪兆銘政権の政治保衛部で何主任(フー)の部下ではあるが、実態は森博之演じる渡辺から派遣されている日本軍の工作員である。
○ 中韓合同グループ『UNIQ』のメンバーで、大ヒットドラマ「陳情令(2019)」で主演しブレイク。「陪你到世界之巅(2019)」や「有翡(ゆうひ) -Legend of Love-(2020)」、「風起洛陽~神都に翔ける蒼き炎~(2021)」、「冰雨火~BEING A HERO(2022)」など多くの人気ドラマに出演している。本作が映画初主演となり、この後主演第2作めとなる「ボーン・トゥ・フライ」の公開が控えている。
周迅(ジョウ・シュン)とは昨年の短編映画「我的朋友(2022)」で共演済である。
中国映画レビュー 「ボーン・トゥ・フライ 长空之王(長空之王)Born to Fly」 - daily diary
周迅(ジョウ・シュン)
○ 共産党員の张先生と上海・衡山路(貝当路)で同居している陈小姐(チェン)を演じた。
○ 周迅(ジョウ・シュン)は、2000年前後に四小花旦として、趙薇(ヴィッキー・チャオ)、章子怡(チャン・ツィイー)、徐静蕾(シュー・ジンレイ)らと大人気になる。
俳優としても高い評価を受けており、ロウ・イエ監督の「ふたりの人魚(2000)」や、金城武との香港映画「ウィンター・ソング(2005)」などに出演、張涵予、鄧超、王宝強らと共演した良作「李米的猜想(2008)」では金鶏奨最優秀主演女優賞を受賞している。岩井俊二監督作「チィファの手紙(2018)」や、ドラマ「如懿伝(にょいでん)~紫禁城に散る宿命の王妃~(2018)」、個人的には初めて中文字幕で見た中国映画「更年奇的な彼女(2014)」などにも主演している。
今作で同居している設定の黄磊(ホアン・レイ)とは、過去多くの作品でカップル役で共演している。
中国映画レビュー「李米的猜想 The Equation of Love and Death」 - daily diary
森博之
○ 日本軍の渡辺。汪兆銘政権を指導するために上海に派遣されている。関東軍=陸軍内で東條英機と対立する石原莞爾に共鳴している。石原莞爾は最初に満州建国のプランも考えた、陸軍きっての頭脳明晰なエリートで急進派だ。渡辺も同様にイケイケの急進派と思われる。
○ 中国映画では「铁道英雄(2021)」で大きな役で出演しているが、それ以前の経歴は良くわからない。ネットでは舞台俳優であったとか、つみきみほと結婚していたという情報が出てくるが、真偽は不明である。
王传君(エリック・ワン / ワン・チュエンジュン)
○ 王一博(ワン・イーボー)演じる叶先生(イエ)と一緒に活動する王隊長(ワン)。上司ではあるが叶先生(イエ)とは仲が良い。
○ 2007年にオーディション番組「加油!好男儿」に井柏然(ジン・ボーラン)らと共に出演して知られるようになった。コメディドラマ「爱情公寓(2009)」で日本人漫画家を演じて人気になる。名作映画「薬の神じゃない! 我不是药神(2018)」での主役チームの一員だったのを覚えている人も多いのではないだろうか。その映画の監督・文牧野(ウェン・ムーイエ)による次作「素晴らしき眺め(2022)」にも出演。
さらに本作の程耳(チェン・アル)監督の前作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海(2016)」にも出演している。
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黄磊(ホアン・レイ)
○ 共産党の上海での組織メンバー、张先生(ジャン)。陈小姐(チェン)とは5年同居していた。
○ 今作で同居している役の周迅(ジョウ・シュン)とは相手役で共演する事が多く、「人间四月天(2000)」、「橘子红了(2002)」というドラマから、最近20年ぶりに「小敏家(2021)」で相手役として再共演している。観客には当然この2人ならカップルだ、と自然に思わせるキャスティングになっている。
華語版ドラマ「深夜食堂(2017)」でのマスター役、受験がテーマのドラマ「小别离(2016)」などでも知られている。
张婧仪(チャン・ジンイー)
○ 方小姐(ファン)は共産国家建立に燃える共産党員で、抗日活動を行っている。王一博(ワン・イーボー)演じる叶先生(イエ)の婚約者。
○ 周迅(ジョウ・シュン)と陳坤(チェン・クン)が立ち上げた事務所、东申未来(北京)文化有限公司に所属。ヒットドラマ「风犬少年的天空(2020)」の主演でデビュー。映画「あなたがここにいてほしい(2021)」やドラマ「点燃我,温暖你(2022)」など。
江疏影(ジャン・シューイン)
○ 共産党の工作員、江小姐(ジャン)を演じたのは江疏影(ジャン・シューイン)。汪兆銘政権政治保衛部の唐部長(タン)を暗殺しようとして捕らえられる。
○ 上海生まれ。赵薇(ヴィッキー・チャオ)が監督した良作「So Young〜過ぎ去りし青春に捧ぐ〜(2013)」に出演して多くの映画賞を受賞。ドラマでは「恋愛先生 MR・RIGHT(2018)」や「九州縹緲録〜宿命を継ぐ者〜(2019)」、「孤城閉〜仁宗、その愛と大義〜(2020)」、「30女の思うこと 〜上海女子物語〜(2020)」など。
大鹏(董成鹏、ダーポン)
○ 政治保衛部部長、唐(タン)。トニー・レオン演じる何主任(フー)の上司であり、共産党員の江小姐(ジャン)に命を狙われた。
○ ミュージシャンで監督でもある。出演作は冯小刚(フォン・シャオガン)監督作「わたしは潘金蓮じゃない(2016)」や「奇門遁甲(2017)」など。本作の後に公開された「いいひと 保你平安」では自身で監督・主演しヒットした。
この夏公開予定の王一博(ワン・イーボー)主演映画「热烈」の監督である。
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