プラットホーム - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ・動画配信 | Filmarks映画
この記事は、【前編】からの続きとなります。
【本記事は極力ネタバレせず記述していますが、心配な方は映画鑑賞後にご覧ください。】
音楽、テレビ、カルチャーと、大量の文化をコラージュすることで当時の空気を立ち昇らせる。なぜ賈樟柯(ジャ・ジャンクー)はこの手法を使ったのか探る。
- 【スタッフ & キャスト】
- 【なぜ賈樟柯(ジャ・ジャンクー)はあの手法を選択したのか】
- 【劇中に登場したカルチャー注釈集】
- 映画・テレビ・演芸
- ファッション・物品
- 背景ニュース・スローガン
- 劇中の演目・パフォーマンス
- 音楽(歌謡曲)


【スタッフ & キャスト】
2000年 中国・香港・日本・フランス 154/193分 豆瓣評価:8.4/10
監督:賈樟柯(ジャ・ジャンクー)
出演:王宏伟(ワン・ホンウェイ)、趙濤(チャオ・タオ)、梁景东(リャン・チントン)、杨荔钠/杨天乙(ヤン・リーナー/ ヤン・ティェンイー)、韩三明(ハン・サンミン)
【なぜ賈樟柯(ジャ・ジャンクー)はあの手法を選択したのか】
『プラットホーム』を観ていて何より驚くのは、その情報量だ。膨大なネタを散りばめ、それら全体から時代感が伝わるように描いている。
オープニングでも劇団は舞台にいて、列車を真似た出し物を演じている。説明は特にない。演劇とは少し違う何かで、演目が何かもほとんどわからないまま、映画は進む。そして次の場面では、自分のズボンをラッパズボンに改造しようとする崔明亮(ミンリャン)。そんな具合に、時代を示すようなアイテムが次々に登場してくる。でも、それぞれに説明をつけたり大きな役割を与えたりはしない。そうやって、少しずつ雰囲気全体の記憶の中に紛れ込ませていく。
なぜあれほど膨大なカルチャーネタを仕込んであるのだろう。賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督は何を狙っていたのだろうか。
当初は、ちょっと変わった時代考証の一種なのかとも思った。この前に作られた監督第一作『一瞬の夢』でも、時代を示す音楽の使い方が良かったし、その流れかもしれない。でも、それにしては大変な量のネタだ。この手法をわざわざ選択したのには、きっと理由があるに違いない。

最初の仮説
こうした手法自体は見覚えがあり、初めてではない。ここでは、このように流行歌やテレビ、ファッションなど文化の断片を並べる映画の作り方を、便宜上「文化的コラージュ」と呼ぶことにする。
この映画のように、時代のアイテムが大量に並べられていく様は、見た目は全然違うけれどバブル期の80年代日本みたいでもある。この映画を見た観客は公開当時も今も、これらのアイテムの意味がわからずに見続ける。さながら、バブル期のヒット本、田中康夫『なんとなく、クリスタル(1980)』的な、記号的に時代背景を消費・整理するカタログ的な手法の、あの感じだ。監督はまさにあの当時の感覚のように、記号論的に当時のアイテムたちを並べていったのではないか。
賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督は後年、『長江哀歌』や『山河ノスタルジア』など、中国の姿を見せる映画を作っていく。主義主張は控えめに、中国という国の姿を、ある場所の風景に翻訳し、落とし込んで映画にする。そうした監督の作風からも、すごく納得できる話だ。若かりし青春時代を再構成する為に、ああした膨大なアイテムによる文化的コラージュによって「当時の空気」を作ろうとしたのではないか。

賈樟柯(ジャ・ジャンクー)は言ってない
一見納得できるのだが、違和感が湧いてきた。監督自身、そうした理由で文化的コラージュを選択したとは言っていない。公開翌年のインタビューで「監督として、私は分析には興味がない」「自分が見たいものを見るだけだ」と語っている。さらに、観客にメッセージを押しつけるのではなく、ある「ムード」を与え、その中で何を見るかは観客に委ねたいとも話している。当時の空気を表現するにあたり、それらの断片を解釈したり「分析」したりは、あえてしないようにしたようだ。
『プラットホーム』の劇中の若者たちは80年代に入って、様々な新しいカルチャーの洗礼を受けていく。テレサ・テンの歌、パーマ、そしてロックといった新鮮な体験を、私は改革開放のお蔭だと思った。だが、そもそも80年代は、世界中がそれまで以上の消費社会へと突入し、日本ではバブル、アメリカではMTVなどの新しいカルチャーが花開いた時代でもある。
山西の若者たちも、いわば同時代的にそうした新しいカルチャーを受け入れていった、そんな時期であったのかもしれない。

理解する前に飛びつく
人は文化を理解してから好きになる訳ではない。当時の日本の若者たちだって、そうしたトレンドや新しいカルチャーを、理解してから受け入れてはいない。とりあえず何かカッコいいとか、これがキテるらしいというだけで、まず飛びついていった。特にサブカルなんかのファッションや音楽はそうだ。中国の若者が同じであってもおかしくない。
デビッド・ボウイは1987年、ベルリンの壁の向こう側、東ドイツ側に向けてライブを行った。それは当時共産主義だった東ベルリンの若者にとって、強烈なインパクトを与えたという。
雑多な新しさが眼の前に広がった
劇中の汾陽の若者たちにとっても、新しいカルチャーの新鮮な驚きは、考える間もなく魅了したのに違いない。理解とかそんな事の前に、身体が先に反応していたのだろう。まるであの頃初めて原宿に来た若者と同じ、東ベルリンでデビッド・ボウイを聴いた人々と同じ、あの感覚だ。
それらに出会うのに順番なんかない。生活の中に少しずつ散りばめられていく雑多な新しさの前に、どれかがアンテナに引っかかっていく。まさにそれこそが文化的なコラージュであり、『プラットホーム』で展開された手法そのものではないか。

記憶は最初から断片だった
最初、私は賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督の後年の作品から、彼は過去の思い出を再構築したのではないかと思っていた。つまり、振り返ってみてちょうどいいアイテムを編集していったという、事後的な解釈の作業だ。しかし、色々と考えてみると多分そうではない。
彼は、あの時感じた驚き、喜び、感動を、あの時に感じた形で提示しようとしたのではないか。バラバラに新鮮な体験がやって来て、意味もわからぬまま夢中になっていったあの頃。それを観客にも追体験してもらうために、あえて説明もせず、バラバラに仕込んでいった。そう考えると、監督の言う「分析せず」に「断片としての記憶」を映画にする事の意味が腑に落ちる。
印象的なシーンがある。劇団の代わりに、彼らは「深圳ロックンロールエレキバンド」という奇妙なバンドを組み、珍妙なファッション、ロックとディスコ、パンクが混ざったようなヘンテコな音楽を演奏して、客と揉める。あのバンドがやってた事は、まさにあの頃の若者の実態そのものだったように感じられて、とても象徴的に感じられるのだ。
あの時代、彼らがそんな体験をしたのは、確かに政治の変化のお蔭かもしれない。でも正直そんな事はどうだっていい、そう思っていた筈だ。それよりもあの時代の我々に何が起こっていたのかを、もっと皮膚感覚として感じて欲しい。世界がまだ知らないあの頃の汾陽を追体験してもらう。その為には文化的コラージュという手法は、これ以外にない選択肢だったように思えてくるのであった。
【劇中に登場したカルチャー注釈集】
映画・テレビ・演芸
インド映画『放浪者』(Awaara、1951)
◯ 映画館での新作映画としてかかる。人々が先を争ってチケットを買う人気作。
◯ 1951年のインド映画の名作。1955年に中印友好政策の一環として公開され、貧富の差や社会が人間を作るという社会主義的テーマで大人気となった。また、情熱的な恋愛、娯楽性、歌と踊りが大きな話題を呼び、主題歌「流浪者之歌(Awaara Hoon)」も大流行した。
文化大革命の際にはブルジョワ的として一度消え去るも、1970年代末の文化大革命後にリバイバル上映され、文革前を記憶している世代にも、記憶にない世代にも人気となった。
www.youtube.com Awara (1951) (HD) - Raj Kapoor, Nargis, Prithviraj Kapoor -Hindi Full Movie With Eng Subtitles
www.youtube.com Awaara Hoon 流浪者之歌 字幕版
アメリカドラマ『特攻ギャリソンゴリラ(1967)』
◯ 钟萍(チョンピン)たちが見たいドラマがあると崔明亮(ミンリャン)達を誘う。
◯ 第二次世界大戦中、犯罪者たちを特殊部隊として敵地へ送り込むアメリカのテレビドラマ。変装や潜入工作を駆使するスパイ・アクションとして人気を集めた。
本国では全26話で終了したものの、中国では1980年に『加里森敢死隊』として放送されると社会現象的な人気を獲得。文化大革命後に海外文化が本格的に流入し始めた時代を象徴する作品。中国人が初めて見た本格アメリカドラマの一つとして、現在でも中高年世代には広く知られている。
www.youtube.com 特攻ギャリソンゴリラ「情け無用の消耗作戦」
評書・劉蘭芳『岳飛伝』
◯ 劇団が列車で移動しているシーンでラジオから流れてくる。
◯ 評書(中国の伝統的な語り芸)の第一人者・劉蘭芳が1979年からラジオで放送した長編作品。南宋の名将・岳飛の生涯を描き、全国100以上の放送局で放送される社会現象となった。昼になると多くの家庭がラジオの前に集まり、「万人空巷」とまで言われるほどの人気を博し、改革開放初期を代表する大衆文化となった。
www.youtube.com 刘兰芳《岳飞传》评书 第1回 抗金兵朝廷恩科 五兄弟进京赶考 #l刘兰芳 # 岳飞传
ファッション・物品
喇叭裤(ラッパズボン)
◯ 崔明亮(ミンリャン)がズボンを改造して作る
◯ 1970年代後半から1980年代初頭の中国で若者の間に大流行した。香港映画や海外文化の影響を受けた、改革開放による新しいファッションの象徴でもある。当初は「資本主義的」「不良の服装」と批判された。既製品が少なかった当時、雑誌や口コミを頼りに自ら改造して流行を追う若者も多かった。

紅棉牌(Kapok)ギター
◯ 劇団の若者たちが演奏する中で使用されている。
◯ 1960年に広州で誕生した、中国を代表する国産ギターブランド。計画経済時代には競合が少なく、中国国内市場の約8割を占めるほど普及し、多くの若者にとって「ギターといえば紅棉牌」だった。改革開放後は海外製品や新興メーカーとの競争で存在感を失う
烫发(パーマ)
◯ 张军(チャンジュン)に勧められて钟萍(チョンピン)がパーマをかける。
◯ 改革開放初期、中国では香港や欧米の流行の影響を受けてパーマが若者の間で広まった。それまで文革期には実用性が重視され、派手な服装や髪型は「ブルジョワ的」と批判されることも多かったため、パーマは新しい価値観や個性の象徴でもあった。

広州の絵葉書
◯ 张军(チャンジュン)が旅行に行き、絵葉書を送ってくる。
◯ 中国南部の大都市。改革開放後、深圳などとともに最も早く経済発展が進んだ地域で、香港に近いことから海外文化や流行の玄関口となった。1980年代には多くの若者が仕事を求めて広東省へ向かい、広州は「新しい時代」の象徴として憧れの対象となる。

背景ニュース・スローガン
法卡山前線ニュース(中越国境紛争)
◯ ニュースが流れる
◯ 法卡山は広西チワン族自治区とベトナムの国境に位置する山地。1979年の中越戦争後も国境では武力衝突が続き、1981年には法卡山で大規模な戦闘が発生した。改革開放が始まった一方で、中国では依然として国境紛争が続いており、法卡山の戦況はラジオやテレビでたびたび報じられた。
劉少奇の名誉回復(平反)
◯ 劉少奇は中華人民共和国第2代国家主席。文化大革命では毛沢東から「最大の走資派」と批判され、失脚・迫害の末、1969年に獄中で死去した。
改革開放が始まると評価が見直され、1980年に中国共産党は正式に名誉を回復(平反)。追悼大会も盛大に開かれ、文化大革命の誤りを公式に認める象徴的な出来事となった。
「四つの現代化(四个现代化)」スローガン
◯ 街頭に掲げられたスローガン
◯ 周恩来が提唱し、1978年以降の鄧小平時代に国家目標として前面に掲げられたスローガンで、「農業」、「工業」、「国防」、「科学技術」の近代化を意味する。改革開放初期には全国の駅や工場、学校、街角に「実現四個現代化」「為四個現代化而奮鬥(四つの現代化実現のために奮闘しよう)」といった標語が数多く掲げられていた。
「農業学大寨」スローガン
◯ 「農業は大寨に学べ(农业学大寨)」は、毛沢東が1964年に提唱した政治スローガン。山西省昔陽県の農村・大寨を社会主義農業の模範と位置づけ、自力更生や集団労働を全国に呼びかけた。文化大革命期には全国の街や農村に標語が掲げられたが、改革開放の進展とともに運動は終息し、1980年代には過去のものとなっていく。
香港返還交渉
◯ 劇団の会議で話題にのぼる
◯ 1982年、イギリスのマーガレット・サッチャー首相が北京を訪れ、鄧小平との会談を機に香港返還交渉が本格的に始まった。1997年の返還に向けた第一歩として中国国内でも大きく報じられ、改革開放期を象徴する重要な政治ニュースとなった。
劇中の演目・パフォーマンス
詩朗誦《風流歌》
◯ 冒頭の劇団の演目。崔明亮(ミンリャン)と尹瑞娟(ルイ・ジュエン)はこの作品の朗読を一緒に練習することで親しくなる。
◯ 詩人・紀宇が1980年に発表した長編抒情詩。1982年に中央人民広播電台で朗読が全国放送されると大きな反響を呼び、学校や大学でも盛んに朗読されるなど、改革開放初期を代表する文化現象となった。
「風流とは何か」を問いかけ、外見や流行ではなく、理想や人格、社会への貢献こそが真の「風流」であると訴える内容で、多くの若者の共感を集めた。
www.youtube.com 配乐诗朗诵:风流歌 作者: 纪宇 朗诵:儒光 制作:夕林
表演唱『火车向着韶山跑(1967)』
◯ 映画の冒頭で、主人公たちの地方劇団=文工団が演じた列車のマネをする演目。
◯ 唱歌みたいな合唱や小中学校で使われた楽曲。毛沢東の生誕地である湖南省の「韶山(しょうざん)」へと続く鉄道の開通を記念して、1967年に制作された。
◯ 劇中で登場したのは、文工団が歌に合わせて身振り手振りで表現する「表演唱」というパフォーマンス。映画冒頭の1979年、彼らはまだ見たこともない蒸気機関車を想像で表現していた。
何年かして、巡業中にトラックが止まり、彼らはカセットテープからの「長すぎるプラットホームで、宛てのない列車を待ち続ける(=流行歌『站台』)」という歌を聴く。そんな彼らの眼の前を初めて蒸気機関車が通り過ぎていく。
www.youtube.com 火車向着韶山跑
深圳の霹靂舞(ブレイクダンス)団
◯ 劇団が実質解散後、「深圳の霹靂舞(ブレイクダンス)団がダンサーを募集している」という話が出る
◯ 深圳は1980年に中国初の経済特区に指定され、改革開放を象徴する都市として急速に発展した。1980年代半ばには香港や欧米の影響を受けたブレイクダンス(霹靂舞)が若者の間で大流行し、深圳にはダンスや流行音楽を中心とした芸能団体も生まれた。『プラットホーム』では、国家に属する文工団から市場経済のエンターテインメント産業へと若者たちの活躍の場が移り始めた時代の変化を象徴している。
ちなみに劇中の時代(1983~85年頃)の深圳は、今のような超高層ビル群の都市ではない。もともと人口3万人ほどの小さな国境の町で、経済特区に指定以降、建設ラッシュは始まってはいたが、市街地の多くは工事現場で、周囲には農地や漁村が広がっていた。それでも全国の若者から見れば、「中国で最も未来に近い場所」だったのだ。
音楽(歌謡曲)
劉鴻(リウ・ホン)『站台(1987)』
◯ この曲名を映画のタイトルに採用し、劇中ではバラード調にアレンジしたものなど何度か登場する、実質的テーマ曲。
◯ 歌手・劉鴻(リウ・ホン)が1987年に発表したヒット曲。駅のプラットホームで恋人を見送る情景を歌ったラブソングで、1980年代後半の中国ポップスを代表する一曲となった。
劇団員たちが時代の変化に翻弄され、それぞれ別々の人生へ旅立っていく姿は、「出発と別れの場所」であるプラットホームのイメージと重なり、1980年代中国の変化そのものを象徴するタイトルとなっている。
林子祥(ジョージ・ラム)『成吉思汗(ジンギスカン、1979)』
◯ 広州帰りの张军(チャンジュン)が、「あっちで今流行っている」とかける曲。
◯ ドイツのグループによる曲を香港の歌手・林子祥(ジョージ・ラム)が広東語カバーしたもの。汾陽での受容は本場から4年も遅れている事になる。
www.youtube.com 成吉思汗-林子祥
李谷一『妹妹找哥泪花流』と『絨花』(1979)
◯ 当時の流行歌。
◯ いずれも映画『小花(1979)』の楽曲で、『小花』は文化大革命後を代表する映画の一つとして社会現象的な人気を博した。特に李谷一が歌ったこの2曲は、1980年前後の中国では誰もが知る国民的ヒット曲となった。
※『絨花』は、1970~80年代の文工団を舞台にした馮小剛(フォン・シャオガン)監督の映画『芳華-Youth-(2017)』で、映画全体のテーマを背負う象徴的な曲として使用されている。
www.youtube.com 电影《小花》插曲 妹妹找哥泪花流 李谷一独唱
www.youtube.com 1979年 电影《小花》 插曲 李谷一《绒花》 原影原声 【高清】
革命歌曲『咱们工人有力量(われら労働者には力がある)』
◯ 映画前半での劇団のレパートリー。
◯ 1947年に創作され、工場建設や生産に励む労働者を讃える内容で、新中国成立後を代表する労働歌として全国に普及した。学校や工場、文工団でも広く歌われ、社会主義建設を象徴する楽曲として長く親しまれた。
www.youtube.com 2011央视兔年春晚 民工街舞团 《咱们工人有力量 》
鄧麗君(テレサ・テン)『美酒加咖啡(1972)』
◯ 台湾からのラジオという事でかかっていた
◯ テレサ・テン(鄧麗君)が1972年に発表した代表曲の一つ。「美酒加咖啡(ワインとコーヒー)」という当時の中国では珍しかった西洋的なモチーフと、恋愛や失恋を「私(我)」の視点から歌う内容で、改革開放初期の若者たちに大きな衝撃を与えた。香港や台湾から持ち込まれたカセットテープによって中国本土へ広まり、個人の感情を歌うポップスの象徴となる。
賈樟柯(ジャ・ジャンクー)もこの曲について、
「それまで僕たちが歌っていたのは『咱们工人有力量』のような"私たち(我们)"の歌だった。しかしテレサ・テンは『美酒加咖啡』で"私(我)"を歌った。」と語っている。
“No revolutionary songs”: Yellow music and everyday resistance in Maoist China and after
www.youtube.com 鄧麗君 美酒加咖啡 Teresa Teng
『年軽的朋友来相会(1980)』
◯ 1980年に張枚同作詞、谷建芬作曲で発表された青春歌謡。改革開放が始まったばかりの中国で、「四つの現代化」を担う新世代の若者を明るく励ます内容が共感を呼び、1980年代を代表するヒット曲となった。「為祖国、為四化(祖国と四つの現代化のために)」という歌詞に象徴されるように、革命を鼓舞する歌ではなく、未来への希望や青年の活力を歌った点が新しかった。
www.youtube.com 经典老歌李谷一演唱的《年轻的朋友来相会》美好的回忆
王潔実・謝莉斯『校園的早晨(1981)』
◯ 1981年に発表されたキャンパスソング。王潔実・謝莉斯のデュエットによって広く知られた。遼寧大学の朝の風景から着想を得たとされ、「沿着校园熟悉的小路(見慣れたキャンパスの小道を歩き)」という歌い出しで始まる。
革命や階級闘争ではなく、学生生活や友情、未来への希望を爽やかに歌い上げた作品で、中国本土初期の青春歌謡を代表する一曲となった。
www.youtube.com 《校园的早晨》王洁实谢莉斯,清新活泼、优美动听的校园歌曲
蘇小明『軍港之夜(1980)』
◯ 1980年に蘇小明の歌唱で発表されたヒット曲。軍港の夜と若い水兵の心情を穏やかに描き、それまでの革命歌曲とは異なる抒情的な表現で人気を集めた。一方で、当初は「靡靡之音(退廃的な音楽)」との批判も受けたが、改革開放に伴う価値観の変化を象徴する作品として広く受け入れられ、1980年代中国ポップスの代表曲となった。
www.youtube.com 39年前,蘇小明首次演唱《軍港之夜》
李谷一『辺疆的泉水清又純(1978)』
◯ 1979年公開の映画『黒三角(黑三角)』の挿入歌。李谷一の歌唱によって広く知られ、改革開放初期を代表するヒット曲となった。辺境の美しい自然と祖国への愛情を穏やかに歌い上げた作品で、革命歌曲のような勇壮さではなく、抒情的で親しみやすい表現が多くの人々に支持された。
『啊,朋友再見』
◯ 劇団が巡業に出発する際に皆で合唱している曲。
◯ イタリアの反ファシズム・パルチザンの歌「Bella Ciao」を原曲とする楽曲。中国では1977年公開のユーゴスラビア映画『橋(1969)』の中国語吹替版で「啊,朋友再见」として、特定の歌手ではなく「映画『橋』の歌」として広く親しまれ、1970~80年代を代表する外国映画音楽の一つとなった。
自由や別れを歌う旋律は多くの中国人に親しまれ、外国文化への憧れを象徴する楽曲として広く歌われた。
www.youtube.com 啊朋友,再见!《桥》主题曲 Bella Ciao
彭麗媛(ポン・リーユエン)『在希望的田野上(1982)』
◯ 村に電気が開通する式典に劇団が呼ばれ、そこで歌われる
◯ 1982年に発表され全国的な人気を集めた。改革開放によって変化し始めた中国の農村を「希望に満ちた田野」として描き、豊かな未来への期待を歌い上げた作品で、1980年代を代表する歌曲となった。革命や階級闘争ではなく、農村改革と新しい生活への希望を主題とした点が特徴である。
◯ 彭麗媛(ポン・リーユエン)は、当時中国を代表する人気歌手であり、後に習近平国家主席と結婚し、中国のファーストレディーとしても広く知られるようになった。
www.youtube.com 歌曲《在希望的田野上》彭丽媛1985年当代青年喜爱的歌揭晓发奖演唱会演唱 主持人卢静
張明敏(チャン・ミンミン)『我的中国心(1983)』
◯ 炭鉱で歌われる曲
◯ 香港の歌手・張明敏(チャン・ミンミン)が1983年に発表した愛国歌曲。香港歌手として初めて中国中央電視台の春節聯歓晩会で歌唱すると全国的な大ヒットとなり、1980年代を代表する歌曲となった。海外で暮らす華人が祖国への思いを歌った内容で、中英による香港返還交渉が進む時代背景とも重なり、多くの中国人の共感を集めた。
www.youtube.com 歌曲《我的中国心》 张明敏【1984年央视春晚】丨订阅CCTV春晚
鄧潔儀(デン・ジエイー)『路燈下的小姑娘(1987)』
◯ 1987年に発表されたディスコソング。ドイツのデュオModern Talkingのヒット曲「Brother Louie」を原曲とし、中国語詞を黄蒲生が手がけ、鄧潔儀(デン・ジエイー)の歌唱によって大ヒットした。同年発売のアルバム『87狂熱』に収録され、中国全土のダンスホールやカセット市場で爆発的な人気を集め、1980年代後半を代表する流行歌となった。
www.youtube.com 路燈下的小姑娘