【本記事は極力ネタバレせず記述していますが、心配な方は映画鑑賞後にご覧ください。】「妈妈! Song of Spring」の感想や解説(データ、あらすじ、出演者プロフィール)などを記載しています。
www.youtube.com Song Of Spring 妈妈 | Mother and Daughter
【スタッフ & キャスト】
2022年 中国
監督: 杨荔钠(ヤン・リーナー)
出演: 吴彦姝(ウー・イェンシュー)、奚美娟(シー・メイジュエン)、文淇(ウェンチー)、朱时茂(ジュー・シーマオ)
【あらすじ】
65歳になる冯挤真は、85歳の母と一緒に生活している。母の介護に手を焼きつつも、慎ましく穏やかな生活を送っていたが、ある日自らにアルツハイマー型認知症の徴候が出始めた。介護していた母親にも自らその事を伝え、二人で悪化する症状に立ち向かおうと奮闘する。
【感想】
大変難しいテーマに真正面から向き合いつつ、しかも映画らしい美しい画面やユーモアも決して忘れていない。本当に素晴らしいクオリティで仕上げられたエンタメ映画だ。
大前提として、アルツハイマー型認知症となった65歳の娘を85歳の母親が介護するという、そもそもこの設定で映画を作ろうという事それ自体に驚いた。現実としても確かにあり得るが、これを2時間の商業映画に落とし込む力量は並大抵のことではない。しかも映画が進むにつれ状況が悪化していくにも関わらず、雰囲気は決して悪化していかない。そこにこのテーマに対しての、製作者の鋼のような強い意思を感じるし、作品にもしっかりと反映されているのだ。
さて映画自体は冒頭、まるでイングリッシュガーデンの様な美しい、細やかに手を入れられた庭園の風景から始まる。その庭を持つ家に住む母娘もまた、生活のあらゆる場所に気を配る、丁寧な生活をしている事が描かれていく。(ついでに言うと洋服のセンスもまた素敵なのである。)娘は老いが進みつつある母親の世話もしているのだが、非常に慎ましく、無駄口を叩かない性格として描かれていて、一方で映画全体も余計な台詞をほとんど入れず、見せる事ですべてを説明していく事で、とても滑らかに二人の穏やかな生活を伝えてくる。ところが、ある日の出来事をきっかけに穏やかな生活が崩れ始め、慎ましかった娘がどんどん子供のように騒々しいものになっていく。
とはいえ、この映画は娘だけが主人公ではない。むしろ普通の映画ではなかなか主役とはなりにくい85歳の母親こそが、この物語を上向きに変え、希望を与える役となっているのだ。元科学者で知性を持ち、一方で自分にも娘にも厳しく小煩いという、少々複雑なキャラ設定を存分に生かしたストーリーでもあり、前半の一方的だった母娘の関係性は後半になって、むしろバディもの的なドライブ性も持ち始めて、むしろ小気味よく展開していく。そうして面白く楽しみつつもふと、「実際にこの状況だったらエグすぎるんじゃないの?」と我に返るのだ。それほどこの映画の設定は、翻ってむしろ絶対にリアリティを持って描けないと思うほどに絶望的な状況だ。
筆者のように現在母が要介護認定を受け、父が重い病を抱えたまま二人で暮らしている両親を持つ環境の人間であれば、この状況が如何に絶望的か、想像するだけで辛くなってしまう。確かに劇中の85歳の母親像はリアリティに欠ける演出も多いし、娘の認知症の実際もこんなもんじゃ済まないだろう。一瞬たりとも将来を考える気にはなれないのに、油断すればすぐに頭をよぎってしまうほど瀬戸際であり絶望的である。
現在の中国映画は、検閲が入る環境もあってハードなリアリティを追求しきれず、どうしてもファンタジー要素が入り込みがちだ。それは同時に中国の人が何より人情に重きを置くからでもある。だがこの映画はそのファンタジーをうまく使いこなし、中国映画の得意分野を活かして作り上げられている。筆者個人としては、こういう夢と希望を与えるファンタジーこそ「映画」に求められるものだし、本作はそれを使ってすべての認知症患者や要介護者を持つ家族が泣ける映画に仕上がっていると思う。中国映画界にとっても、その得意分野を活かしきった素晴らしい果実だし、またそれを金鶏奨が主演女優賞として正当に評価した点も含めて素晴らしいと感じた。
娘が薬を飲むシーンが素敵だ。大量の薬を心配で飲めない娘のために母が飲んで見せてあげたのに、不要なビタミン剤をポイッと窓から捨てていたずらっぽく笑う。薬を飲むシーンは後半にも違う演出で再度登場する。こういうユーモア、最高である。
【トピック】
○ 当初は「春歌」というタイトルだったが、「妈妈!」と改題して(英題は改題せず)今年5月8日の母の日に併せて公開の予定が、コロナ禍により延期。7月の北京国際映画祭に出品され、母親役の吴彦姝(ウー・イェンシュー)が主演女優賞を受賞。9月10日に全国公開された。公開2週目に興収ランキングで5位を記録。
○ 杨荔钠(ヤン・リーナー)監督は元々俳優として贾樟柯(ジャ・ジャンクー)監督の「プラットホーム(2000)」などに出演したが、現在は映画監督として、「春梦(2013)」、「春潮(2019)」で映画賞を受賞している。本作はそれらに続く3部作の3作目作品。
○ 本作は2022年の中国金鶏奨(金鸡奖)で娘役の奚美娟(シー・メイジュエン)が主演女優賞を受賞した。
2022年第35回中国金鶏奨(金鸡奖)の作品一覧 - daily diary
○ 撮影は2021年9月に杭州で行われた。
◯ 筆者の2022年中国・香港映画ベスト5で本作を第1位に選んだ。
吴彦姝(ウー・イェンシュー)
○ 母親である蒋玉芝を演じたのは吴彦姝(ウー・イェンシュー)。1950年代から活躍する俳優で自身も現在84歳。シルヴィア・チャンが監督した「妻の愛、娘の時(2017)」や「花椒の味(2019)」、昨年公開の「再会の奈良(2021)」などの他、今年もコロナ禍を描いた「穿过寒冬拥抱你」や韩寒(ハン・ハン)監督作「四海」に出演するなど、近年更に活躍の場が増えている。
この画像の場面に出くわした娘が、心配して “爬高会摔死” 「登ったら転落死」と付箋を貼ると、見越したように母親も “不爬高也会死” 「登らなくてもどうせ死ぬ」と付箋を貼る、というシーン。こんなクスッとさせるユーモアもたくさん散りばめられている。
中国映画レビュー「穿过寒冬拥抱你 Embrace Again」 - daily diary
中国映画レビュー「四海 Only Fools Rush In」 - daily diary
奚美娟(シー・メイジュエン)
○ 娘の冯挤真を演じたのは奚美娟(シー・メイジュエン)。本作で金鶏奨主演女優賞を受賞した。日本で知られている作品といえば、チャン・イーモウ監督「サンザシの樹の下で (2010) 」での主人公の母親役だが、他にも国家一級演員、中国映画家協会副主席、全国代表大会党代表や全人代代表も何期か務める他、上海大学上海映画学院主席教授を務めるなど錚々たる経歴を持っている。つい最近では杨幂(ヤン・ミー)、白宇(バイ・ユー)主演の医療ドラマ「谢谢你医生(2022)」に特別出演している。
○ 空き巣に入り逮捕される若い女、周夏は台湾の文淇(ウェンチー)が特別出演した。「血観音(2017)」で台湾金馬奨 助演女優賞を受賞している。
○ 父が研究していた古い橋を見ていた親子の娘を演じているのは杨恩又(ヤン・エンヨウ)。「星明かりを見上げれば(2022)」の娘役である。
中国映画レビュー「星明かりを見上げれば 人生大事 Lighting Up the Stars」 - daily diary