今日はこの映画を見てきた。
「ヤクザと憲法」
ドキュメンタリーではよく知られる東海テレビの制作。
実際の堺にある組事務所とヤクザの日常に密着したドキュメンタリー。今の彼らの境遇は大変厳しい。ある種、面子を潰す事にもなる、その部分に焦点を当てている。
見終わって思うのは、「これも消されていく生業(なりわい)の一つなのだ」という事。
もはや滑稽ですらあったりする、彼らの現実感からかけ離れた風習・しきたりは、つまり社会との欺瞞が無いと存在し得ない。存在していないふり。
そして、それでも彼らの存在理由が存在する場所も、未だ僅かではあるが残っている。
人々のやり取りが面白い。
1. (事務所で、テントの中身が銃では無いのかと問われ)銃刀法で禁止されてますやん。(銃無しで抗争が起こったら)どうすんのかは僕らは考えないですけど。
2. (新世界の串カツ屋の女将が、客がヤクザの親分と知っているかと問われ)誰が守ってくれんのん。おもろい事言うなあ。警察なんか全然やで。
※ここで、この親分が「ちょくちょく気にかけてくれる」という場面は印象に残った。営業としての自分に足りていないところ。結局こういう事が大事なのだ。胸が痛い。
3. 日本から消えろと言われてる様に感じますわな。(山口組の顧問弁護士)
4. ほな、どこが受け入れてくれるの。(組長)
昨日書いた事とも通じる、「失われていく生き方」である。彼らは行き場が無いからヤクザになった。ではキーパンチャーは行き場があったのか?弁士は?(将来の)一般事務員は?
彼らを嗤う者は、やがて自らを嗤う。
teppay-dailydiary.hatenablog.com
追記
ほのかな孤独が寄り集まっている事務所の雰囲気は、最も男社会的吹き溜まりそのものの姿に感じた。むしろ暖かいというか。
こうした落伍者の吹き溜まりには、それも女性の落伍者には果たしてどんな場所が用意されているのか。僕はまだ知らない。