value for imagination

高い城の男: フィリップ・K・ディックを読んだ。

 

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高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568)
フィリップ・K・ディック
早川書房
売り上げランキング: 6,094

 

先日少し見たドラマの原作。

teppay-dailydiary.hatenablog.com

 

1963年に書かれた、ナチスドイツと大日本帝国が勝利した第二次大戦後のアメリカを描くSF小説、という感じ。

非常に奇抜で興味深い、と同時にとてつもなく難しい設定だけに、「どのナチスドイツを描くか」、「どの大日本帝国を描くか」が肝なのかなあと思いつつ、そこの料理の仕方を楽しみに読み進めた。

 

僕たちは、加害者としての心理を理解できる可能性と、"加害者家族"としてある種被害者的に重く受け止める立場を持ち、逆にアメリカが自分たちをどう理解したのかについては遠い彼方の先にあって、良く理解できていない気がしている。

 

実際のところは、むしろ表層的なファシズム国家的部分と、むしろ中国っぽいエキゾチック東洋思想部分が多くを占める、非現実的な描かれ方だった。肩すかしである。

肩すかしではあるが、何故と考えるとディックはむしろ本質的に違いのない事を理解して設定していったのかなと、納得もいく落としどころでもある。

 

アメリカ人が、ドイツ人はともかく日本人より下層階級として描かれている部分は、1963年という時期を考えると相当刺激的だっただろう…

 

お話は、最終的に価値観の捉え方という部分に収斂していくのかな、と理解した。戦争の勝敗が導くのはイデオロギーの勝敗でもないし、それ以外の何かの勝敗でもない。でも、その結末によって人々の意識は大きく歪められ、相手を見る目線も変わる。八卦に頼るアメリカ中西部の(恐らく)白人が登場したり、アメリカの産業が復興することを夢見たりする。

今の僕らは、アメリカ産業の没落など考えられないけれども、同じように例えばアフリカやミャンマー、ラオスなんかの東南アジアの発展途上国の人々は、価値観を歪められていたりはしていないのか。それが変われば何かが変わるのか。

 

やっぱりSFは空想(科学)小説。面白い。