先週、アメリカン・スナイパーを見てきた。
冷静に、粛々と現実を見せていく。誇れるような、カッコいいものではない姿は、最近のテロ動画なんかに近い雰囲気。1週間経った今では、むしろ「地味」で「卑怯」なスナイパーだからこそ、このテーマに相応しいという事なのかと思う。
誰だって、無傷ではいられない。
「大義」があるから人を殺し、人を殺すために「大義」を作り出す。それぞれの内面にも。
偶然だが、こんなものも読んだ。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を体験した日本人少年の記憶。多くの内戦の当事者は、すべからく似たような心境なのじゃないかと思う。ソマリア、コンゴ、パレスチナ、アフガニスタン、シリア。
記憶とはなにか。「亡くなった彼らのことは決して忘れない」、それが次の戦争を生みだす、その皮肉。
以前もボスニアの本を読んだことがあり、下地として知ってはいた。
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この時は、一方的な「被害者」としての逆転劇という様相も残っていたが、それぞれの立場にはそんな事の意味はない。
これが「バルカン半島の武器庫」の話なら、こんな武器庫は世界各地にあるだろう。
自分もその立場なら、こんな知識はリセットされるだろう。生きるか死ぬかの答えなど1つしか無いのだし。そして戦争は決してなくならない。
そういえば思い出した。
留学していた時、1995年頃だ、ルームメイトがボスニア人だった。ジョージア州の片田舎に、U17のバスケ代表チームがそのまま避難してきていたのだ。自宅への電話も時々しか繋がらないと言っていた。元気に過ごしている彼らといながら、ニュースのぼんやりとした報道とにわかに繋がらず、傍観していた。一緒にシカゴで休日を過ごしたりもしたな。
彼らはどうしているのだろうか。