話すこと

今日、カウンセリングを受けてみた。

 

昨晩、眠れずに酔って考えた事を、カウンセラーの前で改めてほぐしていきながら並べていった。長い時間考えていたことなので、そうして改めて並べていっても綺麗に整っていた事に安堵した。

 

カウンセラーは、何もしない。ただ話すべきポイントを尋ねる調子で言ってくるだけだ。時にはむしろ不安になって、思わず意見を求めたくなったりもする。

 

グラデーションになっていた理解の深さの輪郭が見えてくる。さらに温度を下げて形を落ち着かせたようなものだろうか。正直、何か期待したような展開は起こらなかった。何を期待していた訳でもないけれど。

 

もっと本当の話が出来たのかもしれない。小さな部屋で、初対面の二人きりの空間という、特殊すぎる装置。アルコールも飲み物もない。初めての経験では、どこまで出していいのかわからず、見栄を張ったかもしれない。

 

自分でも何かを恐れているのかもしれない。自分しか見えない場所で、ひょっとするとおかしなバランスに陥ってはいないだろうか、とか。何事も見方の問題だ。その恐れを口にできたことの方が、大きな意味があったのかもしれない、ひょっとすると。

 

今、こうして考えていることも同じことだ。何かの拍子におかしなバランスになってしまう事がある。その判断力は保っていたいものだ。でも、それも自分では診断できない。

 

猫でも飼おうかな、と思う。