フェルマーの最終定理を読んだ。
アマゾンでのとてつもない高評価で借りた、けど内容のハードルの高さに数日読む手が止まったものの…
すごい。
個人的に面白い本に出会った時の反応は、「移動しながらでも読む」だ。バスなんかの読みにくいシチュエーションでも、思わずその本を開かずにいられない、そんな本は心に残る。もちろんこれもそう。
もちろん、話はフェルマーの最終定理がついに証明されるまでのドラマだ。ニュースでも確か見た記憶がある。という事で当然多くの理論や数式が出てくる。そんなものは理解できない。でも、それを飛ばしてもなお、心を鷲掴みにされるほど面白い。それはつまり数学の面白さを解き明かしてくれているから。
自分もその片鱗は感じる時がある。昔、サークルのウェブサイトを作るためにhtmlをいじって触れた、あの喜び。プログラム(htmlはそれ以下だけれど)は正に数学だ。全てが揃わなければ、思う通りの表示(結果)にはならず、グチャグチャのひどい画面が現れる。間違いを延々と探(デバッグ)し、再読み込みをし、また間違いを探し、ついに全てが揃った時、まさに突如という感じで美しい画面が出現する、あの到達感。たぶんこれは数学者の人もきっと感じているに違いない。
幾つかの印象的な驚き。
1. 女性数学者の、残酷すぎる差別的境遇とそれを超克する精神力。特にソフィ・ジェルマンの才能と忍耐力には感服するしかない。
2. 日本人の谷山志村予想の素晴らしさとそこに隠された人間ドラマが染みこむように理解できたこと。このドラマは感動的であり、いかにも戦後の日本的な爽やかな物語だと思う。
3. 数学は事実ではないものも扱う、という衝撃的な事実。
「神は存在する。なぜなら数学が無矛盾だから。そして悪魔も存在する。なぜならそれを証明することはできないから(アンドレ・ヴェイユ)」(p186) 数学、そして科学が事実のみを扱う事になった時、初めて人間は神になるのかもしれないし、それはつまり決して神にはならないという事かもしれない。
4. 「新しいアイディアにたどりつくためには、長時間とてつもない集中力で問題に向かわなければならない。その問題以外のことを考えてはいけない。ただそれだけを考えるのです。それから集中を解く。すると、ふっとリラックスした瞬間が訪れます。そのとき潜在意識が働いて、新しい洞察が得られるのです。」(p259)
5. 「講義」の面白い存在意義。
証明を成し遂げたアンドリュー・ワイルズは、証明を検証するための講義をセットした。そうしてひとつずつ検証していく場を設けたという。講義は学生のためでもあり、教授の為でもあるという、いかにも学問の本質的な装置。
素晴らしい読書体験をさせてもらった。感謝。