今日、煙草を吸いながら考え事をしていて。
ようやく知った。
ああそうか、と。
倫理感への捉え方。
無さ、違い、とにかくそこの違いが原因だったのか。
なぜこうなってしまったのだろう。
流されてしまったのか。
生きる為に。
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今まで、とにかく何とかしたかった。
そのためには、ととにかく考えていた。
確かに、周りを見渡せば堅苦しいルールを乗り越えて
いける人間が人生を謳歌している。
それよりも大事なのは結果を残すことで、でもそれだけは
どうしても納得いく形にはなっていかない。
そして残るのは、試行錯誤のなれの果てだけなのである。
実績という果実もない、もがきの叫び声がへばりついた
見苦しいアートという名の自己満足。
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男たちの多くが、少年ジャンプだったり、長渕だったり、ラッパー
だったり、先輩だったり、父親だったりから、それを乗り越え、
更に「大物」になる事を教わる。
近所のヤンキー、部活、同級生、同期、皆誇りを持っている。
それは強がりであり、自分が感じていた劣等感を守る為の鎧
だった事を知らず、さらに鎧を分厚くして戦場に向かう………
自分たちの生き方には、その場で留まる事を教わる事は
無かったし、前を向いて進めないのであれば終わりであった。
しかし、まあそう簡単に進むわけがない。
それを見ないようにして、お互いを鼓舞して、そうして辛うじて
「前を向いている」体を作ってでも撤退しないようにして、
男である自分の居場所を確保して日々を過ごしてきた。
(だからこそ、「前を向いている」なら多少の倫理の欠如を
正当化する存在が成立してきたのだ。
それはあくまでも「前を向き続けること」への燃料であり、
そうして互いを許し合う事とした。)
男たちが、友達であっても基本的に同じ方向を見るのは、
つまり同志でありライバルだからだろうか。僕らはその
方向性が同じことを見つけて友達になる(そうだろうか)。
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でも、あの時は限界だった、のだろう。
自分に課しているものの重さに。
無理して、焦って、実現しようとしているのに。
理不尽さへの我慢に。
そして、迷った。
最初は、大した事ではないと思っていたんだ。
それが一線を越えている意識なんて無かった
よくある話だ。
でも、それでバランスが取れてしまうのだ。
そこには倫理とか出る幕はない。
ただ、これを続けること。そうすればいつかは終わる。
筈だった。
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今。
もうあの頃のゲームからは降りて、とても楽になった。
とてつもない喪失感と共に。
僕らには、それ以外の価値観は与えられていたのだろうか
と思うくらいに何もない感覚が強い。
趣味とか、そんなものが替わりになどなる筈もない。
でも、未だにあの価値観から逃れられているのか自信がない。