「累犯障害者」を読んだ。
陳腐な言い方だが、衝撃を受けたという他ない。
知らなかった事がこれでもかと突きつけられる。
・刑務所が「終の棲家」となるしかない障害者が多数いるという事
・障害者手帳を登録していない「障害者ですらない障害者」の方が圧倒的に多いという事
・障害者の女性が風俗の世界に昔から多かったという事
・障害者の受け皿はヤクザか身内か路上にしかないという事
・障害者だけの組も1つでなく存在し、彼らが障害者を搾取しているという事
・彼らが、福祉に接触する機会そのものがないという事
・彼らが何の援助も受けられず、極貧の状況で生活している事
どれもこれも、考えたこともなく。
でも、少し考えればすぐにわかる事だ。
目を背けていただけの事。
特に衝撃が強かったのは、ろう者についての章だった。
・手話には2種類の手話があり、健常者が学ぶ手話は生まれつきのろう者が使う手話とはまったく違う。
・その為、裁判でもそれ以外でも、ろう者とのやり取りが正しく伝わらない。
・そんな状況のため、知的にも発達がとても遅くなる。抽象的な感覚の理解が進まない。
・「9歳の壁」と呼ばれる成長の話。
話を読んでいると、倫理観が育っていないことを認めるしかなく、とても危険な状態に陥る。こんな世界が広がっていたという事を「全く知らなかった」事に深く恥じ入った。
特に知性の話は、知らなければ非常に危険な状況を招く事が想像できるし、実際そうなんだろうし。間違いなく誤解され、本人が「アホだ」と考えられてのけものにされ、社会と繋がっていけなくなってるんだろう。そりゃそうなるよ。
特に言語についての事は、身近な問題でもあり色々と考えた。彼らは「手話で夢を見る」そうなのだ。それはそうかもしれない。が…想像できるか。
その言葉はどのように脳に伝わり、イメージが構築され、理解されていくのか。まだまだ理解はできていない。
これもぜひ近いうちに読みたい。
・貧困から教育機会へと繋がる問題
・「居場所」の問題
深く深く僕らと繋がっている。
そこから、自分がいつも考えている事に行き着いてしまう。
「現在の自分」をどう捉えるか。
こんな自分が、ここにいていいのだろうか。こんな何もない生きざまなど、意味が無いのではないのか。いや、それともこれは自己評価の仕方の問題なのか。
彼らの生きざまは、まさに自分に投影されている、とても痛い本であった。