先週読んだ近代天皇制と古都の、高槻は今城塚古墳まで行ってきた。
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しかし...往復65kmはキツかった...あまり文章書く気にならん...
文化住宅コレクション。
皇紀2600年記念の石碑。正直、なぜ今も残しているのか、少し不思議でもある。
向日町までやってきた。ここまで来たら向日町電車区もとい、現在は吹田総合車両所京都市所を見たいところ。
今や貴重な湘南色113系
愛すべき、オリジナル塗色117系。
高さ1.7m。人間と自転車しか通れないトンネル。
稲刈りが本番を迎えていた。
蕎麦の花も咲いていた。
西国街道で出会ったEF510。東北へ向かうのだろうか。
西国街道はところどころこんな昔の街道の姿を見せる。
さらに30分程度走って、遂に到着。すでに結構疲れた。
こんな資料館もあり、この古墳への好待遇ぶりを実感する。
今城塚古墳はすごいところだ。
何が凄いか。実はここは宮内庁管轄ではない。つまり天皇の墓ではないと国は定義している。近所にある太田茶臼山古墳が継体天皇陵となっているが、学会の定説では既に今城塚が本来の継体天皇陵でほぼ間違いないとされている。
ここの凄いところは、天皇陵でありながら陵墓に登れるところだ。宮内庁が比定していないため、ここは誰でも入れる。実際にここは既に事実上公園として整備されており、今日も実際に多数の家族が遊びに来ていた。もちろん陵墓へも全く気軽に登れるし、説明のための銘板も整備されている。
奈良で古墳に親しんでいる身としては、立ち入れない場所という考えが当然になっていて、足を踏み入れることにも恐れ多い思いが湧いてくる。
こんな風に半分はお堀、半分は埋められて芝生のグラウンドになっている。周囲は埴輪で囲われており、これらがここが古墳であることを主張する。
なんだか恐る恐るという気持ちで登ってみた。誰も上には上がってこない。下では子どもたちが遊んでいる。
こんな説明の銘板もきちんと用意されている。自分が天皇の陵墓の上に立っている事に不思議な思い。
既に疲れていたけど、もちろん帰らないと。この時点で5時前になっていた。日暮れ前の帰宅は諦めた。
子どもたちや家族が川沿いで週末を楽しんでいる。こういう郊外的な風景は心を持って行かれそうになるね。
日が暮れそうになってきた高槻駅前。
丸大食品は昭和30年代の典型的な工場。そろそろ日が暮れる。
帰ってきたのは、結局7時半。6時間半は長かったー...でも、あの古墳の雰囲気がとっても面白かった。